日々是四面楚歌

いい大人があれこれ語るひっそりしたブログ

諺(ことわざ)と非日常

      2016/11/26

突然だが「情けは人の為ならず」という言葉をご存知だろうか。

人にかけた情けはいずれ自身に返ってくるのだから、

人には親切にしておくことを心がけよという意味の諺である。

下手な温情は相手を甘やかし、本人のためにならない

という意味で誤用されることも多い。

 


 

正確には何年前のことだか覚えていないけれど、昔のこと。

羽田行きの飛行機に乗り込んだその時の目的は、友人たちとの酒宴だった。

酒宴だけを目的に飛行機に乗るという酔狂には、他にも興味深い、

しかしどう話すべきか言葉選びに迷うエピソードがあるのだが、

それはまたいずれ機会があったらお話ししよう。

今回は機上での奇譚について話したいと思う。

 

 

その時の私は、久しぶりの飛行機で気分が浮き立っていた。

シートは主翼の付け根付近。

エンジンと地上の景色を同時に眺めることのできる窓際の席だ。

1泊2日で手荷物も少なく、身軽で上々の滑り出しと思えた。

私の隣席には、私より5歳ぐらい下と思われる女性が乗り込んできた。

間もなく出発時刻。

小さな肩掛け鞄を座席に置いたその女性は、

キャリーケースを頭上の収納に押し込むのに苦労していた。

見かねた私は、手伝いますと言って力仕事を買って出た。

「ありがとうございます」「どういたしまして」

などと挨拶を交わすうちに、機体は駐機場を離れる。

その後特に言葉を交わし合うこともなく機体は離陸した。

 

離着陸の時のGは心地よくて好きだ。

やがて水平飛行に入り、シートベルト着用サインが消え、

シートを傾けてもよいとアナウンスが流れた。

ここまではいつもとさほど変わらぬ空の旅だった。

 

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突然、隣のキャリーケースの彼女が言った。

「あの…ちょっと横になっていいですか?」と。

後ろの座席にではなく、私に許可を求める理由がわからぬまま、

私は「ええ、どうぞ」とあまり考えずに答えた。

 

すると。

こんな事は今後もうないのではないかと、

そう思うのも無理はないようなことが起きた。

 

彼女は、私と彼女を隔てるシートの肘掛けを上げたかと思うと、

なんと。

なんと。

なんと。

 

私の太ももに頭を乗せて来たではないか。

 

訳がわからなかった。

言葉が足りないとは、まさにこのことではないか。

そして意図を聞き返さない私にも過失はあっただろうか。

しかしどのみち、今さら断るに断れない。

己の膝の上に鎮座する、見知らぬ女性の顔を、上から見下ろすべきか。

いきなりの出来事に戸惑う私に、か細い声で彼女はこう言った。

「すみません、具合が悪くて…」

 

体調が悪いのなら仕方があるまい。

それにしても見知らぬ男の膝を借りる、その勇気に恐れ入るばかりだが、

そんなことに構っていられない程つらかったのだろう。

けっして好男子の部類に属さずそれなりの努力を要する私には、

そうとでも思わなければ説明がつかないし、

それがこの珍事を説明できる唯一の合理的な理由だ。

それでも膝の上で嘔吐でもされてはたまらないと思ったので、

とりあえずエチケット袋だけは手離さぬようお願いした。

以後降下体制に入るまで、彼女はそのまま私に頭を預けたままだった。

 

とてもじゃないが、これでは窓から見える景色やエンジンどころではない。

暫くの間は、眺めるともなく窓の外を眺めるしかなかった。

 

ほどなくして、通路を往来する人がちらほら現れ始めた。

トイレに立つ他の乗客や客室乗務員の視線が痛い。

客室乗務員に至っては、

カップルに接するかの如き態度で完璧な営業スマイルを湛えつつ

「よろしければブランケットをご用意いたしましょうか」

「お連れ様のお飲み物はいかがいたしましょうか」

などと、私に向かって声をかけてくる。

お連れ様でもないしその他人の毛布をどうこうする権限もないが、

状況からして「そういうことになっている」のは明白だった。

「自分の膝の上に横たわる女」に「名も呼ばず敬語で話しかける」こと。

これが状況に反し要らぬ誤解を生むにちがいないと計算した私は、

彼女の意向を確認せずにブランケットと、

自分の判断で紙コップに注がれたミネラルウォーターを受け取った。

むろん体裁と状況の双方の要請から導き出された選択である。

いま思えば過剰な自意識だ。

いや、それ以前に率直に客室乗務員と事態について相談すべきだった。

しかしそんな風に平時ならすぐに下せる判断を見失う程度には、

彼女の奇行は私の平常心をかき乱したのだった。

 

着陸態勢に入る頃には何とか上体を起こしてもらった。

それでもなお具合が悪そうな彼女は、

もはや許可すら求めずに私の肩に頭を乗せて来る。

もうここまで来れば、私が彼女の手を取り頭を撫でたって、

少なくとも見た目上はおかしくなかった。

旅の恥はかき捨てというのはこういうことを言うのか。

あるいは、藁をも掴むというのはこういうことなのか。

一方の私にしてみれば、袖すり合うも多生の縁だ。

人生万事塞翁が馬とは。明日は明日の風が吹くとは。

ケセラセラ。ええいままよ。

とにかくこの異常事態を、双方が双方の立場で受け容れていたのは確かだ。

 

この調子だとこの女性は着陸後も介助してほしい、

そんなことも言い出すかもしれなかった。

あるいは連絡先を乞われるかもしれないとも思った。

この1時間以上にわたる私の、異例の、そして特別な善意に、

形はどうであれ何らかの報いがあっても不自然ではないと思えた。

具体的に何を求めていたのかと問われれば答えに窮するが、

でも、情けは人の為ならずと言うではないか。

 

波乱に満ちた1時間半のフライトの末に、ようやく着陸。

着陸時のGは機体や全身にではなく、

数か所にだけ、集中してかかっているように思えた。

その数か所というのは、邪心でも股間でも何でも、

読者諸兄の好きなように面白おかしく想像していただいて結構だ。

面白いと思ってもらえれば、恥を晒して書いた甲斐もある。

あるいはこの長話にお付き合いくださっている心優しい貴兄ならば、

当時の私のことを褒め、労ってさえくれるかもしれない。

 

一方でその時の私は、飛行機を降りてからの展開について、

勝手に明後日の方角へと思案を巡らせていた。

少なくとも見送って大丈夫な状態だと確認するまでは、

行きがかり上見守る方が良いように思われた。

乗りかかった船ならぬ、乗りかかった飛行機での出来事なのだから。

駐機場に入りサイン消灯後、シートベルトを外す。

自分で上げられなかったものを下ろせるわけもないので、

搭乗時同様にキャリーケースを下ろして渡してあげた。

すると無言のまま、彼女はスタスタと歩き出して行った。

 

心配半分、あとの半分は何だかよくわからない気持ちのまま、

追いかけるような形で行動を共にする。

具合はどうですか、もう大丈夫ですか、などと尋ねる私に

彼女は言葉少なに「はい」と答えた。

 

その当時はまだICカードなど普及していなかったため、

鉄路への乗り継ぎでは必然的に切符売り場に立ち寄らなければならない。

特に同意や要請があった訳ではない。それは分かっている。

それでも何かの折には降車駅で精算すれば良いだろうと思い、

私はとりあえず初乗り運賃で切符を買い求めようとした。

その私に向かい、

初めて言葉を交わして以来もっとも饒舌に私への言葉を投げかけた。

 

「あの、すみません、もう結構です。すみません、さようなら」

 

足早に、付け込まれるのを避けるが如く、

まるで逃げるように改札口に駆け込んで姿をくらませた彼女。

 

 

情けはひとの為ならず。

 

この時ばかりは諺の本来の意味を見失った私であった。

突如意味も訳もわからない失意に落とされた私が乗ったのは、

もちろんモノレールではなく京急。

とは言いながら、こうして非日常にさらに別の非日常が重なった。

そのことによって爆発的に威力を増した解放感を味わっていたのも事実だ。

その夜のどんちゃん騒ぎについては、いつか機会と言葉が見つかれば書きたい。

 

 

これはすべて実体験である。

長年の友人ぴえる氏をして「腹黒い」と言わしめる勅使河原という男の、

過去の思い出話である。

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